2013-01-01から1年間の記事一覧

018:ハーモニカ

薄曇りの、空気の乾いた昼間。保積千都世は、引越しの荷造りをしていた。 シングルベッドの下に置いていた箱の中で、埃を被ったそれが、鈍く光った。 「千都世、これあげるよ。」 映画館の暗闇から出るときのような、余りに周囲が明るくて、輪郭が曖昧な、十…

016:シャム双生児(腰が接合した二重胎児)

「離れようと思ったことなんて、一度もないわ。なぜ、皆私たちが離れたいと思っていると考えているのかしら。」 彼女たちはきっと、そんな風に首を傾げたに違いない。 文字通り、生まれた時から、温子は哲史と一緒に居た。 母親同士が大学生の頃からの親友で…

015:ニューロン(精神機能を営む構造体)

―― もっと頭が良くなりたかった。 ぱしぱしぱしと、わたしの脳の中で繋がりゆく神経細胞。 どこまでも、拡がりゆくネットワークの、樹状の広野。 そんなイメージを抱えながら、眠りに落ちる午后二時。

014:ビデオショップ

雪深い僕らの街の、真冬の唯一つと言って良いであろう娯しみは、 その街には不具合な程に大きいレンタルビデオ店に行くことだった。 そう、それはまだインターネットも、DVDすら無かった頃だ。 僕も、僕の街の友人たちも、十歳にもならない小学生の頃から、…

012:ガードレール

ふいに、さりげなく腰を掴まれて、白線の内側に引き込まれる。 視界の左端に、チャコールのコートの肩がぐい、と現れる。 見上げた先に、薄く白い、冬の息。 その一メートル先に通り過ぎる、赤い自家用車。 どこまでも、続くような、錯覚を覚える。

008:パチンコ

外山晴子の、母親に関する最も旧い記憶は、おそらくパチンコ台に向かっている母だ。 晴子は三歳になったくらいか、パチンコ店のずらりと並んだ台の一つに面して、 しかし目の前とは別の中空を、ぼんやりと見ている母の姿である。 ―― 「はい、ハレちゃん、お…

074:合法ドラッグ

(旧い友人から聞いた話。)三十歳を少し過ぎて、銀行での仕事に多少の行き詰まりを感じていた私は、 一年間の長期休暇を取って、アメリカ、ロスアンゼルスへ語学留学をしていた。 その時の私は、初めて祖国を長く離れ、とにかく新しい刺激を渇望していて、 …

007:毀れた弓(こわれたゆみ)

背骨に迸る、薄くなった傷跡に触る。 最早、夢に見るだけになってしまった、過去に見た将来を思う。 あの時、背中に少しの違和感を覚えながらも、走ることを止めなかった、自分の決断を幾度となく反芻する。 それでも、走るべきだった。走りたかった。ひとつ…