014:ビデオショップ

雪深い僕らの街の、真冬の唯一つと言って良いであろう娯しみは、
その街には不具合な程に大きいレンタルビデオ店に行くことだった。
そう、それはまだインターネットも、DVDすら無かった頃だ。



僕も、僕の街の友人たちも、十歳にもならない小学生の頃から、冬の休日にはその店に集った。
なけなしの小遣いを手に、順繰りに自分の好きな作品を借り、
比較的広い家に住む友人のところで上映会をする。
誰もが知っているような名画から、それこそ見ているのも馬鹿らしいようなC級作品まで、節操無しに観まくった。
家の外では雪がしんしんと降り積もり、すべての音が窓の下まで積もった根雪に吸い込まれていく。


そんな街で、僕も穰(ゆづる)も高校生まで暮らした。
田舎にしてはリベラルな家庭に育った穰は、何事もはっきり言う、どちらかというとやんちゃな性格だが、選ぶ映画のセンスは抜群に良かった。何でも、父親が大層な映像蒐集家らしく、まさに物心付いたころから数々の名画を観て育ったとのことだ。


中学校も半ばを過ぎると、ビデオ屋に集っていた仲間たちもそれぞれに独自の事情が増え、一人また一人と、グループから抜けて行き、高校二年の時まで残ったのが穰と僕だ。
僕は穰の選ぶ映像がとても気に入っていたし、穰は自らとほぼ正反対の内省的な性格である僕とつるむのを何故か好んだ。
僕ら二人は大学受験を控えた高校三年生の冬でさえも、月に二度ほどはビデオ屋の前で落ち合い、息抜きと称した上映会を続けた。


穰と僕の最後の「上映会」は忘れもしない高校三年の三月だった。
誰に云われるでもなく、友人たちの大勢と同じく、僕らは高校を卒業したら東京の大学に進学することを決めていた。
穰は芸術系の大学を目指すのかと思っていたが、あっさりと私立の総合大学を選んだ。対して僕は、国立の理系に進むことが決まっていた。
二人共、元々学校の成績は良く、「息抜き」以外は淡々と勉強を続けたために、
何一つドラマのない、少々拍子抜けするほどの成功だった。


「上映会」当日、(それでも受験でそれなりに忙しかったため)ひと月振りに僕らは最早外観の古ぼけた店の外で会った。
その日も、外では小雪が舞っていた。穰の持つ淡い黄色の傘が幹線道路の遠くから近づき、僕は軽く手を挙げる。
「差し当たり、合格おめでとう。」
互いに静かに健闘を称え合う。穰は僕が飲んでいた缶コーヒーを取り上げ、一口啜る。


「輔(たすく)、お前さ、この街を離れること、どう思う?」


真っ白の息を吐きながら、半ば独り言のように譲は尋ねる。


「どう思う、って、この街の大抵の高校三年生が考えてるのと一緒だと思うけれどな。飽きが来るほどに心地よい故郷を離れることが、8割くらいは楽しみで、1割くらいは良くわかんないけど都会が怖くて、1割くらいは、色々考えちゃって淋しい、ってところ。」


「そーだよなー。」


夕方の店の駐車場には、僕らしか居ない。煙草の烟りのような吐息だけが、空に上がっていく。


「それよりさ、最後の映画、何にすんだよ。穰のとっておき、期待してんだからさ。」
「んー、まだ決めてねーよ。在庫何残ってるか分かんねえし。入ってぱっと決める。」
「そうなのかよ、色気無えなー。」
「色気って、輔相手に今更出しようがねーだろが。つうか、お前俺の口調移りすぎだろ。
 中学校の頃とかもっと、なんつーか、坊ちゃんっぽい喋り方だった気がすんだけど、
 今残ってるの自分のこと『僕』って云う一人称だけだろ。」
「・・・それは、穰が影響力ありすぎなだけだろ。その点は素直に認める。」


それを聞いて、穰は一瞬にやっと笑う。女の子でなくとも、魅力的だと感じてしまうような、はにかんだ笑顔。
きっと、穰には大学に入学したら、速攻ガールフレンドが出来るだろう。


「俺だけでなくて、輔も一本選べよな。一応最後ってことにしたんだからさ。」
「ああ。しかし『最後』かー。長い趣味だったな。部活よりも何よりも長いよ。」
「俺さあ、実は輔と離れんのが一番怖いかもしれん。」
「何だ、それ。僕も穰も、ここ出ても東京に居ることは確かだろ。会いたかったら、電話でも掛けてこいよ。」
「いや、そーいうんじゃねーんだよ。お前、相変わらずクールなー。」


ぷわあ、っと空気を吐き出し、穰は店のウィンドウ前にしゃがみ込む。
そんなこと言いながら、忙しくなって僕よりも大事なことが多くなっていくのは穰の方だ、と僕は確信している。


「なあ、穰。僕らはまだ十八歳だ。そして、殆どこの街しか知らない。東京の冬は、こんなに雪は降らない。」


僕の方も、まるでモノローグのように、穰に語りかける。今日青春モノの映画を選ぶのは絶対に止めよう、と僕は思った。


「僕は、今まで育ってきたこの環境も、友達も、両親も好きだけれど、もっと違う環境でも暮らしてみたいよ。一人暮らしは楽しみだし、理系だから大学院まで行きたい。海外で研究をしてもみたい。
 でもさ、それでも、穰と映画沢山観たことは忘れないよ。穰が物凄くセンスが良いことも忘れない。
 僕からだって電話も掛けるし、きっとあっちでも会ってるよ、僕ら。それくらい、僕らは長い時間一緒に過ごしてる。」


いつの間にか、僕は中学生の頃の僕の口調に戻っていた。穰はまた、少し笑った。


「俺さ、何になりたいとか全然分かんないし、東京ならもっと俺のみたいものが簡単に手に入るだろーなと思うから行くだけなんだよ。
 今までならさ、輔見てたら、俺も頑張ろうとか思えたんだよ。気持ちわりーとか思うんだったら言ってくれ。
 でも、俺、輔が何考えてるかとか、聞くのにどんだけ助けられたか知れない。これから先、輔みたいな友達、出来っか正直不安。」


一息に喋って、穰はぐしゃぐしゃと自分の前髪を引っ掻き回した。


僕は、正直驚いていた。穰のセンスに憧れて、その真っ直ぐな性格に口調まで影響されて、貰ってばかりいるのは僕の方だと思ってきた。『最後』ってトクベツだな、とその時初めてはっきりと思った。
僕らは何だかんだで、物理的に今より少しだけ離れて、少しずつ違う生活に慣れてゆき、互いの世界は離れていくのだと、僕も穰も、ちゃんと覚悟している。ただ、こんなに土壇場で、穰が戸惑っているように見えるのが、意外だった。


「とにかく、このままだと凍えちまうよ。ビデオ選びに行こうぜ。」


僕はそう言って、穰をぐい、と引っ張り上げた。


そうして、僕らの最後の上映会は過ぎ去った。思っていた通り、僕らは少しずつ離れてゆき、たまに思い返したように電話をしても、近況はそこそこに、最近観た映画や気に入った音楽の話ばかりをした。
大学を卒業して、穰は雑誌の編集者になり、僕はアメリカの大学院でPh.Dを取るために東京を離れた。



明日、僕は人生で初めて、穰に手紙を出す。結婚式の招待状だ。
日本人だが、こっちで働いている彼女に合わせて、互いの近しい親戚と親しい友人だけを招く、小さな式。

穰はあの日のことを思い出すだろうか。そして、僕に電話の一つでも掛けてくれるだろうか。
そういえば、この大学院のある街にも、深い雪が降る。



僕は、穰が最後に選んだ、映画のシーン一つ一つを、その時の画面を見詰める穰の横顔を、十年以上経った今でも、鮮やかに覚えている。