021:はさみ

目の前で、小さく弧を描いて、小学生の頃に使っていた柄の部分が黄色の鋏が、
まるで小さな虫のように動いていく。
五分程度見つめ続けていると、レース織物のような、折り紙の飾りが、
その作り主から裕一に手渡された。

「はい、七夕飾り。懐かしいだろ。」

大学に入学してから、ルームシェアを始めて一年と少し。
七月の初週はまだ梅雨が明けず、じわじわじめじめと暑い。
シェアメイトの日村儀(ただし)は、工学系学科の器用な男だ。

―― 大学の庭に笹、なかったっけな。

フローリングに胡坐をかいて、手の大きさに合わない小さな鋏を扱っていた儀は、
つぶやきながら、すっと立ち上がる。
その七夕飾りを窓の日に透かして確かめていた裕一は、Tシャツの胸の上に
飾りを載せ、フローリングに寝転んだ。
エアコンを点けることを惜しがって、窓だけを開け放っている2Kのフラットの床は、
空中の水分を集めて少し冷たく、何となく湿っぽい。

「裕一も何か飾り作んなよ。それと短冊。」

寝転んだ手の先辺りに、黄色の鋏と「ようちえんおりがみ」の袋が静かに置かれる。
ご丁寧なことに、儀は小学校まで使っていた「おどうぐばこ」をそのまま実家から
引っ越し荷物に入れて上京してきた。
育ちが良く、妙なところが真面目で、「善く生きようとしている」人だと、
裕一は思っている。

埼玉の実家を出たかったが、大した収入もなく、大学生協でみたルームシェア募集の
張り紙をみて、四月の初めに儀に初めて会った。
今どき、SNSでもなく、今や古いインターネット掲示板でもなく、大学生協の張り紙。
一方で、流行りの白い大きめのハイゲージコットンTシャツを、テーパードのチノに重ねて、
足もとはアメリカからの輸入物のコンバースという、大学一年生にしては垢抜けた出で立ち。

一目で、裕一は儀を気に入っていた。
それから一年、互いに干渉しすぎない、気持ちの良い生活を送っている。

料理の作り方やアイロンの掛け方(そもそも、Tシャツにまでアイロンを掛ける生真面目さ)で、
器用な男だと感心していたが、七夕飾りを作る奴だったとは。

裕一は鋏に手を伸ばし、のろのろと上半身を起こす。
居間の二人掛けテーブルに鋏と折り紙を置き、その前の椅子に神妙に座る。

「この飾り、どうやって作るの。」

―― 子供の頃、やらなかったのか、と意外だという表情を見せつつ、
儀は冷蔵庫から出してきたキンキンに冷えたIPAのビール缶をコトっと音をさせてテーブルに置き、
裕一の反対側の椅子を引いて腰掛ける。

線線の綺麗な手がテーブルの上に伸び、折り紙を一枚取り上げる。

「こうやって、何回か折って、後は適当に鋏で三角とか、丸とか四角とか、
 切っていけばいいんだよ。」

三角に何回か折ったピンク色の紙を、裕一に手渡す。

裕一は、黄色の鋏を手に、神妙な顔をして、ピンク色の七夕飾りの作成に取り掛かる。
儀は、それを満足気に眺め、IPAの缶を開け、口を付ける。

一瞬の静寂。

この空気が何とも心地よいと、裕一は思う。

「そのビール、ちょっとだけ俺にもちょうだい。」

手許のピンクの折り紙に、大小さまざまな穴を切り開けながら、裕一は羨ましそうに儀を見る。
うむ、と頷き、後ろの棚の上に載っているガラスのコップに缶からビールが注がれる。

―― 苦労なく、愛されて育ってきたんだろうな。

ビールを注ぐ手を見ながら、その丁寧さに裕一はもう数百回を超えるであろう同じ感想を抱く。
七夕の短冊に、儀は何を願うのだろう。

「なあ、お前、短冊に何書くの。」

「世界平和。」

何でもないことのように、ビール缶に口づけながら儀が返す。

「あ、後、この暮らしが続きますように、かな。」

気付かれないように、裕一は目を見開き、そして微笑する。
自分との暮らしを、儀は気に入っているのだ、という嬉しい確認。
完成したレース飾りの隙間から覗き見る儀の表情は、いつも通り穏やかで、少し、笑っている。