022:MD

カシャカシャと小さな音を立てて、小さな銀色のディスクが、
プラスチック製の小さな正方形の箱の中で回転する。
明季(あき)が高校生だった15年程前は、この小さな箱から流れる音楽が、
外出時の全てだった。

ガタン、ガタン、という規則的な音のオレンジ色の電車に乗り、
その窓からやけにきらきらと光る大きな川面を見詰め、
折って短くした制服のスカートと紺色のソックスとスニーカー。
耳に詰めたイヤホンから流れる、全て覚えられる程に繰り返し聴き続けたバンドのアルバム。
駅で会う学校の友人、両脇に広がる畑を横目に、高校への道を、小走り気味に歩く。
その背景に、いつも小さく聴こえる音楽。

冬の大掃除の際に、実家の戸棚の中から、ケースに律儀に収められたMDの束を見つけた。
買ってきた儘の箱に丁寧に仕舞われたMDプレーヤーも、大学生まで使っていた自室の棚から
見つかった。
細いサインペンで書かれた、コピーされたCDのタイトル、曲名。
今でも歌えるな、と明季は微笑んだ。

実家に帰るときにしか乗らなくなった、ガタン、ガタン、という規則的な音の
オレンジ色の電車の座席に座り、窓の外を流れる低めの背丈の建物群をぼんやり眺める。
MDプレーヤーの充電式電池は生きていて、バックパックにケースごと入れてきた二十枚程度のMDの束から、
青色のディスクを取り出し、プレーヤーに入れる。
ビニル部分が擦れてくたびれたイヤホンを耳に刺し、それと繋がったリモコンのプレイボタンを押す。

カシャカシャと小さく音がし、耳に良く馴染んだ、英国のロックバンドのヒットチューンが聴こえてくる。

ディスクのケースの文字は、明季のものではなく、当時仲良くしていた軽音部の男子のものだ。
ひと月に一回、気に入っているアルバムのコピーを交換した。

―― 田辺君、どうしているだろうか。

恋心ですらなかった、十何年前の友情について、車窓からやけにきらきらと光る朝方の川面を眺め、
明季はぼんやりと考える。

(アパートの最寄り駅まで、大きな川を三本越える。)

MDプレーヤーから流れる一つのアルバムをリピートで聴き続けながら、
このまま電車の終点まで行ったら、県境を越えて、海のみえる街まで行けるなと、
何度も考えて、一度も実行したことがない。

いかにも高校生男子が書いたような字体の英単語が、ケースに大人しく並んでいる。
几帳面な田辺君は、曲のタイトルを一々入力しており、リモコンの画面に、何分かごとに流れていく。
「自分が、(貴方の)特別なひとだったらよかったのに」
という、明季の気に入りの歌詞が、耳奥を掠っていく。

このディスクを何度も何度も聴いていたあの頃から、明季の世界はおそろしく広がっている。
もう、思いつけば英国にも、アフリカにだって行くことが出来る。
音楽だって、サブスクリプションサービスで、新しい曲も旧い曲も、
地球の裏側の誰かの作ったプレイリストだって、思いついたときに、携帯電話から不自由なくアクセスできる。
何か国語かを勉強し、話し、日本語でない言語を母語とする友人もいる。

軽音部の生徒が皆そうしていたように、田辺君もベースのケースを背負って、
廊下で、少し笑って制服を着た明季に話掛ける。
県内の大学に進学したのだっけ、と卒業後の淡い記憶を辿る。
最後に会ったのは、大学二年生のときの同窓会だ。そのときも、最近気に入っている音楽の話をした。

ガタン、ガタン、という規則的な音で電車は進み、車窓から見える川は二本目。
カシャカシャと小さな音を立てて小さなディスクは周り、明季はまたバックパックを探って
二枚目のMDを取り出そうとする。

「でも過ぎたことに怒らないでと、君が言ったのが聞こえたんだ」
とディスクから流れる英語のボーカルが歌っている。

この夏の週末は、このMDをリピートしながら、今度こそ、
この電車の終点の街まで行こうと明季は決意する