096:溺れる魚

大学の夏学期試験も終わりかけの金曜日、11号館の階段の下で、
めずらしい人を見かけた。(二週間振りだ。)

ふと、こちらを見た彼は、気まずそうな様子も見せずに、手に持ったハイライトを再び口に付けた。
しなやかな指先。

「・・・煙草、吸うんだ。」
「・・・試験の時だけね。」
「知らなかった。」
「ほんとにヤバイ時しか吸わないよ、俺。」
「別に煙草が駄目なんて云ってないよ。」

ぷわっと、宙に昇る白煙。

「・・・・死にたい。」

真面目な顔をして云う。(何云ってんだか。)

「俺、腐ってるから。」
「ぬるま湯に浸かってるみたい。」
「息詰まる。」
「死にたい。」

濁りのない眼で云う。
溺れる魚を、私は抱きしめられない。
この短い距離を、私は、跳び越えられない。

(もう十年以上前の、或る日の風景。)